大遊戯場歌舞伎町

「正しい街」4

3月末に生まれた私は、高校1年の時にはまだ15歳であった。(そのため2学期末にバイクの無免許運転で補導された時にも当時の少年法の年齢規定により家庭裁判所では不処分扱いとなった)当時の私は険悪だった父親の元を離れることぐらいしか将来の目標を持って…

「正しい街」3

当時私達が溜り場にしていたゲームセンターは「オートレストランサーカス荒江店」と言い、その名の通り以前はドライブインであった。店内の奥にはバーカウンターと厨房があり、店番の老婦人と老人はレストラン時代のマスターとウェイトレスであったらしい。…

「正しい街」2

ゲームセンターとは直接的な関係無い話なのだが、私と同人誌(即売会)との係わり合いをここで少し説明しておく。前出の通り、鹿児島大学付属中学校への通学を断念した姉は、その後勉学の代わりに趣味のマンガ創作に傾倒していった。中学校では同好の士を募…

「正しい街」1

私の人生を振り返ると、「流転」という言葉がもっとも的しているのではと思うことがある。生まれたのは熊本県であったが親父の仕事の関係で宮崎、熊本、鹿児島、福岡と移り住んできた。 覚えているのは2度目の熊本からである。物心ついてから小学校に上がる…

プロローグ。

私はいつものように、コマ劇場からでる人の流れを店先でぎこちない笑顔を作りながらただ見送っていた。まだこの店での仕事に慣れていなかった時は、この人の流れが潜在的な顧客と思い、ただ見送っているのはもったいないと感じていた。学生時代にバイトして…